583 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 03:58:03 ID:v/C8QEkP0
自分にも隠していた想いのほうが叶う、が日常茶飯事と思います
当スレで習ったことに寄れば、どんな
(否定的でも肯定的でもどちらでも)起きたことの全てを喜んで歓迎して感謝していると、
次には、肯定的な顕在的にも意識していた望んだ意図が
よく叶うようになるということです。
感じたことが辛くても、歓迎・感謝・祝福するようにしてましたが、これは
心がけて強く行ってきました。
当時に「隠した信念」やら「世界観」やら、あるいは感情、怖れや不安に基づいた
過剰ポや執着などなどに気づこうとすること=自身を振り返ることが大事だと思います。
自身の中の否定的で自己破壊的な信念や感情に気づいたら、充分に認めて、
(抑え込むのでなく)(存分にそれを認め堪能し許容してくことで、それを終わらせ)
肯定的で愛情にあふれた信念に切り替え、置き換え、
新しい信念を心に、自分を活かして喜んで生きようとしてみる。
そういう風にして待てば、願望の吟味や、意図を手放す様な技術的なことを殊更
意識しなくても、概ね好く運ぶ。
わたしの場合の「自我の奴隷であることを止め」て、「自分に最善を配慮する神」に、
「信じて任せる」というのは、昔から沢山の人がしてきたラクな仕方だったと思います。
当スレに時々やってきては、
自己破壊的な信念を内面に持っていた自分に、あれやこれやの仕方で気づいて、
それを、肯定的な愛に基づいた信念に切り替えるという自分の作業を繰り返しました。
役立つ多くの智慧が当スレで紹介され分かち合われてきて
それに感謝しています
585 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 04:03:36 ID:WCoORbaW0
>>583
多分、みんなおまいさんのように忍耐強く、自分と向き合う作業が
出来ないんだと思う。
繰り返しのクレンジングが苦痛で数回で根をあげて、諦めたり
愚痴や嘆きを書いてる奴らばっかだ。
法則は働いていると言ってもよい成果として実感がなければ
人は信じないもんだ。
586 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 04:19:23 ID:v/C8QEkP0
>>585
なるほど、忍耐強く自分と向き合う、という姿に見えますか…
たしかにわたしは、そういう作業にそうとう豊かに時間やエネルギーを注いできて
恵まれているナと思います。みんながみんな、こんな暇人じゃないんでしょうね。
でも、そんなに手間のかかることでもないかもしれないです。たとえば、>>583の、
> (否定的でも肯定的でもどちらでも)起きたことの全てを喜んで歓迎して感謝していると、
> 自身の中の否定的で自己破壊的な信念や感情に気づいたら、充分に認めて、
> (抑え込むのでなく)(存分にそれを認め堪能し許容してくことで、それを終わらせ)
↑のふたつを、どのようにしているかというと、
ある時、なにか嫌な出来事で、もしも腹が立ったら、思う存分に、怒ったり泣いたり
嘆いたりして、そして、同時に「これも素晴らしい完璧」「ありがとう」「うまくいった」
などと、思ったり口にしてたのですよ。
恐らく、はた目からは、相当にクレージーな外観をしてたと思いますw
587 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 04:24:24 ID:WCoORbaW0
>>586
多分、みんなどうしてるか個々に聞いたわけじゃないから
断言はできないが、片方しかしてないと思う。
否定的感情を感じきる・・だけ
感謝の言葉のみを繰り返し口にする・・だけのどっちか。
おまいさんは、感じ切って受け入れたあとに感謝したり、肯定したりと
自分を統合する作業が加わっているからうまくいってるのではないかと思う。
588 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 04:40:02 ID:v/C8QEkP0
>>587
なるほど。
当スレ的には、感情について感情ナビという道具な使い方もありますが、
感情はどんな感情でも=人生の豊かさと思います。
嫌な感情は、その時その時、しっかり強く味わうと短時間で消えて行くし、
好ましい感情は、歓迎して深く味わうと広がって滋養になりながら続く、
手間がかからず、しかも、辛さは後を引きません。
絶望などであっても、それと認めて、強くしっかり味わうことで、
過ぎ去って行きます。感情は、どんな感情でも、怖がらずに、堪能して、
そのことでスイスイと次へつまり、今を生きるようにすることになる。
ホオポノポノスレで書いたことあるんですが、ポノをしていて途中で
最近わたしは「死への恐怖」がずいぶん薄らいで、それにつれて、
否定的な執着や不安がずいぶん減ったと思います。
どうやら、ポノると、抑圧して隠してた古い感情に、自然なカタチで
直面させられるようです。そのプロセスの途中では、露になって見えた自分の
隠した感情にギョッとして、うろたえることも時にあるかもしれません、が、
わたしの場合、起こることを「これも発展的変化のプロセスだ」と思う癖が、
ここ十年位、先に徐々に身についてたので助かりました。
でも、怒っている真っ最中で「完璧」「うまくいった」などと声にするのは、
当スレでいただいた知恵です。
まだまだ続く、すべての過程の、これもほんの一部なのだと思いますが。
どっかで読んだのですが、たいていのことは「気づくだけ」で好いそうです。
「腹の立つ出来事で怒る」というのは、よくよく頭で考えると、
瞬時に気づいていて堪能しきっていて…ほんとうのところ、やっぱり実は
素晴らしいんですね
592 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 08:41:00 ID:6aUG0CuoO
>>583さん
久々にに覗いて良かった!今の自分にヒントになることがたくさんあった。
ありがとうございます。
肯定的な観念に置き換えるっていうのが自分には良くわからないんだけど、
否定的な感情発散→「完璧だ」でいいんでしょうか?
繰り返し起こる出来事(感情)があって抜けたいのだけどうまく行かなくて…
お暇なとき教えてください。
599 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 11:02:54 ID:v/C8QEkP0
>>592さん
> 肯定的な観念に置き換えるっていうのが自分には良くわからないんだけど、
> 否定的な感情発散→「完璧だ」でいいんでしょうか?
あくまでわたしの場合ですが、まず、「感情を発散」というのとは異なってました。
わーっと迫って来る感情でも、或は、なにかうっすらと気づいている感情でも、
とにかくそれを「抑え込む」「避ける」「散らす」というような、回避したりする
ようなことでは無い。
普通の言葉では、直面するとか向き合うとか、自身の境遇や現実に素直に謙虚になるとか、
自分に正直でいる。引き寄せの法則で言うような、「許容して可能にする」ということ。
別の言葉では「味わい、愛でる」です。「堪能する」あるいは「感じきる」です。
思うと、怒りでも嘆きでも、わたしの場合存分に、味わい愛でました。
引き寄せ法則の活用では、助言はたいていは
「否定的な物事や感情に”一切”焦点をあてず、楽しいことに只、目を向ける」と
言われていますが、わたしの場合、あまりにも繰り返し頻繁に続く
嫌な出来事/嫌な感情が、前はありました、ので
目をそらして避けることは返って有害だったかもと思います。
続きます)
600 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 11:06:30 ID:v/C8QEkP0
>>592さん
> 繰り返し起こる出来事(感情)があって抜けたいのだけどうまく行かなくて…
思うに、繰り返し起こる嫌な出来事の解決…というのは、LOAの得意分野かも。
そのうちに自分も流れに運ばれながら、イヤなことは手放して、流れに放して
そんな出来事(感情)からは離れて行けたらいいですね。
嫌な感情を(避けるでもなく発散でも抑圧でもなく)
許容して可能にする、とか味わい愛でる。堪能する。感じ切る…というのが、
どうやってするのか?どんなことなのか?、は、練習してみるといいです。
なにしろ、わたしもそうだったんですが、あなたもそうらしいですが、
何度でも繰り返しその事態になるのだから、練習する機会が沢山あるってことでw
嫌な感情を、許容して味わい愛でて、感じ切った後では、
直後にスッと「楽しいこと好きなことへ意識を向ける」ような
スムーズな切り替えもどうぞ練習してみてください。
その為に、自分が何を楽しく感じるのか?、自分が何を好きなのか?、
自分がどんなことで楽しく憩えるのか?、そういうことを普段から知って蓄えて、
手近に置いて、イザという時(イヤな感情を許容して可能にした直後)に
「楽しくなりたい自分」に只、正直になって
その引き出しをスッと開けてすぐ楽しい気分に移れるようにしておくとイイ
今朝のカキコをした後で、風邪で熱を出して寝てる子どもにせがまれたので
本を朗読してあげたのですが、サラとソロモンの本です。
怒りや絶望なんかはほっといて、そんなことに時間もエネルギーも浪費せずに
楽しいことだけに焦点をあててられたらいいなぁと、ホントはホントは思います
それには、>>597さんもおっしゃるように、
> 否定的感情であれ肯定的感情であれそれは(理由はそのとき分からなくても)自分で
> 望んで引き寄せた結果であると認める
のがカギかもと思いました。
サラとソロモンのシリーズはまだ全然読み終えてないのですが、お薦めです。
レスありがとうございます
597 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 09:46:24 ID:5ammVGcgO
否定的感情であれ肯定的感情であれそれは(理由はそのとき分からなくても)自分で
望んで引き寄せた結果であると認めると全部コントロール下に収めることが出来
ると思う。つまり感情の暴走を防止出来る。原因は自分だと認めずに外部の何か
のせいにしていると感情に押し切られてコントロールを失いしかも中々止まらない。
正に暴走した馬だ。動物と同じ状態になる。
601 :本当にあった怖い名無し :2009/03/11(水) 11:17:12 ID:v/C8QEkP0
>>597さん
概ね同意なんですが、感情というのは、今朝もカキコした中に述べましたが、
そんなに怖いものではないです。感情はお化けでも妖怪でもなく、感情は暴走なんか
しないし、感情に押し切られてコントロールを失うなんてことは本来ないです。
怒ったり笑ったり嘆いたり泣いたり喜んだり、圧倒されたり、パニクったり…そういうのは、
人として生まれて来たことの、生命や人生の、豊かな一面だと思います。
22段階というスケールがありますが、どの感情も堪能して愛でて味わい感じながら
一方で観察者の視点になって、自分が主導権を持って、思考や信念を見直して吟味して、
同じ境遇にいるままで別の感情へと、スケールを上の階層へ導くことすらできる。
「感情は暴走しない」を「そうだよな」と決めてかかったほうが、
「感情を怖がって抑え込んで、絶望も怒りも嫉妬も(あるいは感謝も愛も熱狂も)
怖れで感情を味わえない」よりずっとイイです。
引用元:https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/occult/1235955250/