私は、仕事については時間厳守、けっしてサボらないがモットー
自分に義務を課しているというより、それが自分にとっての幸福だからだ。
今日も、自分の予定通り、きっちり10分前には余裕を持って到着。
しかし、問題は予期せぬところで起こった。
今日行った仕事先の人たちが、あまりにもだらけていた。
時間は守らないし、罪はないんだろうけど、手際が悪すぎるし…
私は「こんなに私がきちんとやっているのにどうして」
というイライラに襲われた。このところ、久しく持たなかった感情だ。
それからどんどん悪循環で、マイナスのことばかりが目に付くようになり、マイナスを引き寄せ、
自分自身も「ついてないな」と思うような一日になった。
今思えば、ここで必要だったのが相手を許容することだったんだが…
イライラを処理できず、自分の方に負を引き寄せてしまった。
もっとゆったり構えていればよかった。
負は連鎖反応でやってくるな。未熟さを痛感したよ。
うまく引き寄せを発動できなくなった。なんというか、努力逆転の法則というやつに
おちいってしまったようで…
こういうときどうしたらいいのかな。余裕がなくて。
まるで振り子の法則の過剰ポな毎日。
引き寄せようとしても、目先のことばかりにとらわれてしまってうまくいかないようだ。
負の連鎖がいまだに続いてるかんじ。
まあ、こういう模索する日々もたのしいのだけどねw
マジで解決策を模索しています。なにかいいアイデアとか、同じような経験がある人がいたら
体験をきかせて欲しいです。
とりあえず自分は、このスレでだれかが教えてくれたEFTとやらをためしてみたいと思ってます。
多分、私自身の人生とか細かいところは、周囲から見たら何一つ変わってないんだろうけど
自分的には物事の捉え方がイライラしやすくなってるというか。
もっともうまく引き寄せていた状態に比べてだから、たいしたことはないんだけどね。
これが人生規模で起こると、「あの出来事からなにもかもうまくいかなくなった」
っていう人がいるのもうなずける。
ただ、その波から抜け出す方法がかならずあると思うんだよなあ。
自分の人生をうまく運転する方法が。
ちょっと600(=141)の「定義」を探っていこうと思う。
スレ汚しかもしれんが、
この時間見てる人も少ないだろうし、
エイブラハムの新刊(ヒックスのアメージングなんとか)の亜流だから役に立つかもしれん。
でははじめよう。
600よ、141を読んでると、気持はわかる。
だが、それを突き詰めていくと、
周りがすべて完璧な人間じゃないとダメってことかね?
今の環境が全く駄目で、前の環境が何もかも完璧だったとは思えないのだが……
前と今、何がどう違うのか、教えてくれないか。
ごめん、読み返してみると「環境」ってわけじゃないんだな。
でも、「仕事先」でも一緒だよ。
今まで行った「仕事先」と、今回地雷だったそこは、どう違うのかな?
どうしても完璧に仕上げたいとは思ってはいませんでした
でも、あるとき、このままじゃだめだと思い、思いなおすようにしたら、
自分の仕事をきっちりこなすことの楽しさを知ったんです。
それによって人間関係も良くなり、自分の職場では、とても楽しく仕事をしていて幸福です。
でも、その日行った仕事先(別会社です)が、あまりにもずさんで…
「私がこんなに一生懸命やってるのに」と思った瞬間に、負の連鎖が始まりました。
思えば、そんなに意気込むことはなかったのですが…
今でも不思議です。
でも、それからなんだか、世界が微妙に反転しているような気持ちです。
なるほど。
あなたの中には
「自分がこれだけやってるんだから、他人も同じくらいやらなければいけない」
という観念があるようだ。
だらしない人間の中に、昔の自分を見ているのかもしれない。
だから余計に許せないのかもね。
悪い、続く。
>>614
なるほど、自分の中のシャドウを無意識に感じて、そのように強く思ったということですね。
頼まれて手伝いで行った地雷な会社と、普段の自分の職場との違いですが…
今の職場は、わりと前向きにイキイキと仕事をしている人が多くて、みんなの笑顔と達成感が絶えません。
私に対して会社側も好意的で、思うように部下を指導したりしています。部下も素直で有能です。
でも、地雷の仕事先は、主導権は私ではなく、すべてその会社にあるので、
その会社の負のスパイラルにも巻き込まれたりで、無駄なことを多く感じました。
ただ、今になって思ったのは、その会社にとっては、その負のスパイラルと仕事ぶりが普通であるため
みんなイライラは少ないのだということ。イライラを感じたのは、どうやら部外者の私一人だったかもしれません。
(ここでエイブラハムが言うところの「許容し可能にする」ことが必要になってくる)
あなたが見ているだらしない人は、
仕事意識が「人並み」だった頃の、昔の自分だ。
しかし、その頃の自分を、怒らず優しく見守ってくれた人もいただろう。
そのおかげで、仕事が楽しい今の自分があるわけだ。
昔、自分も多少似た傾向があったかもと考えても、「後輩」を許す気にはなれないかね?
今度は自分が、見守ってあげる側の人間になれないかね?
こう考えると、少し「許す」パーセンテージが広がった気がしないかい?
(しなくてもいい。少しだけするなら、少しだけと答えてください)
本当にそのとおりですね。
なぜあの時、彼らをいきなり、許容できない状況になったのか…
自分自身の姿だと思えば納得が行きます。
自分を愛せないものは、他人をも愛せないのですよね。
人の欠点ばかり目が行く人は、自分のことが嫌いなのだとよく言うように…
あの時の状況が、私の痛いところをついたのでしょう。目からウロコです!
ある意味、私は昔の自分を「許容し、可能にすること」ができていなかったのかもしれません。
だから過剰に、あの出来事に反応してしまったのかも。
自分をすべて受け入れるところから引き寄せは始まると思います。>>599が書いているように。
すっかり忘れていた昔のダメだった自分を許容し忘れていたという気がします。
周囲の人間や物事を許容するにはまず、自分自身をすべて許容することが必要なのかもしれない。
>>618
おっ。私が偉そうに導かなくても、わかっていたようだね。
「他人を許すことは、自分を許すこと」ということに。
少し(数パーセント)だけ、感情がマシになったんじゃないかな?
劇的な変化じゃないにしても。
エイブラハムの新刊には(訳がボロボロの旧刊スピリチュアル・トレーニングもだが)
こうやって考え方を少しづつ整理して、22段階の感情を少しづつ引き上げていくメソッドが載ってる。
この22レベルの感情を少しづつ少しづつ引き上げていくやり方は
(例:レベル10・不満 → 9・悲観 → 8・退屈 → 7・満足……)
非常に興味深いが、これ以上スレを埋めるのもなんだからここでは取り上げない。
だが、心理療法でも正式に使われているすごく有効な方法だから、
もしよかったら新刊を立ち読みしてみることをお勧めする。
>>620
少しというより、かなり、感情が楽になりました、ありがとう!
このスレにいる人たちがこの先つまずきそうになったら、owTkOIig0さんの書いてくれたことが
とても役に立つと思います。本当にありがとう!
よく、このスレに、こういうメソッドや、心理療法は、魔法がとけたら効果がなくなると
書いていた人たちがいたので、そういうこともありえるんだなあと思っていました。
でも、諦めたらそこで試合終了というかw、なにか方法があるはず、と考えていたので、
その対策のひとつがみつかって、本当によかったという気持ちです。
ごめん、>>620の最後の一行は間違いだ。
では最後に、簡易EFTの亜流を紹介して私も寝ることにするよ。
「段階引き上げ」が間に合わなかったり、
理屈でわかっていてもネガティヴ感情が抑えきれないときは、
体の中心線上でムカムカするところを左手の手のひらで抑えるんだ。
みぞおちだったり、胸だったり……
嫌なことを思い出しながら、その左手の甲を、上から右手のゲンコツでトントン叩く。
震動が体に響くようにずっと続けていると、少しだけ感情がマシになるはずだ。
すっかり消える人もいる。
では、600よ、付き合ってくれてありがとう。
少しスレを消費したが、このログが後から来た人の役に立つかもしれない。
深夜で人も少ない時間だったので、他のみなさん、勘弁してくれ。
ではとりあえずお休み ノシ
ID:owTkOIig0です。
私が623で紹介したのは確かに安田氏が紹介して有名になった技だ。
安田氏というのは安田隆さんという療法家(?)で、
手軽で簡単な割に劇的に効くメソッドを紹介してる人。
ひっそりやってるからここに書くのもどうかとは思うのだが、
確かに日吉でひっそり開業しており、私もお世話になったことがある。
興味が湧いた人がいるなら、本が何冊も出てるから、まずはamazonで検索してみるとどうだろう。
しかしこれ以上安田氏の話を続けるのは少々スレ違いだろう。
大切なのはそれが誰の開発した技なのかではなく(ちなみにこれも源流は安田氏本人ではない)、
もっといえばエイブラハムやら神様やらが実在するのかでさえなく、
引き寄せの法則・LOA・シークレットがはたして真実かどうかですらなく、
「それが自分にとって役に立つのか?」というただ一点ではないだろうか。
もうひとついうと、札束の画像だが、ちゃんと効果を出すにはコツがいる。
それを待ち受けにするだけだと、すぐ慣れてしまって「感情」を呼び起こしづらいのだ。
あの小さい画面だと、札束というものの質感などの情報量が、圧倒的に足りないから。
それでもやらないよりやったほうがだいぶマシなのだが、
できればどこぞの画像からはい拝借するよりも、
本物の札束を撮影するほうがさらに効果があがる。
「これが私のものだったらな~」という気持ちを閉じ込めるつもりでシャッターを切るのだ。
うまくやれば見るたびにその気持ちを思い出せるようにアンカリングすることができる。
100万の札束くらいなら、見る機会くらいなら、皆無ではないだろう。
いや~でもあんまりありえないというならば、それこそ引き寄せてみてはどうだろうか。
逆に言うと好きなことならした方がいいわけで、行動をしなくていいと言っているわけではないと
思う。
>>666
その通りだ。
ただ「行動をしなくていいと言ってるわけではない」と表現のは、誤解を生みそうだが。
いやなこと、ちょっとでも面倒だと思うことは、一切しなくていいのだ。
人生は苦しむたびにあるのではない。
できること・苦にならないことからやっていけば、
やがて「次の段階」がやってきて、
その頃には嫌だなあと思っていた状況は半自動的に解消されている。
引用元: https://hobby10.5ch.net/test/read.cgi/occult/1196749354/