行動不要論者さんいらっしゃるでしょうか
すごく甘えん坊でワガママなことばかり言ってるので叩かれ覚悟で書きます。
行動不要論者さんがいうように、親のことは愛してるのに、やっぱり憎く思ってしまうときがあるんです。
前スレ952さんの言っていることもすごく分かります。
私は小学生の時に母子家庭になってから、世の中には自分よりもっと大変な人もいる
ということをたくさんの人から言われてから、確かにそうだよなと思い自分なりに頑張ってきましたし
つらいこともあったけど高校に入るまでは結局世界は自分を中心に回っていると思い、将来自分は必ず幸せになると思っていました。
でも17歳の時に挫折してから、ふと世の中には自分よりラクラク幸せな人や離婚なんかしないで温かい家庭で育って
来た人も世の中にたくさんいるんだよな…としみじみ思ってしまってから急に過去の恨みや境遇、過去の間違った自分の思考に不満を抱くようになってしまったんです。
>>9
私はあなたにはちょっとした縁さえ感じている。できればもっと詳しくやりとりしたいくらいだ。
だが、ここはあなたと私だけの場所ではない。さすがにそういうわけにもいかないだろう。
しかし、あなたにもここに書き込む権利はもちろんあるし、救いを求める自由もある。
だから私はあなたの役に立ち、かつ他のみんなにも参考になる(少なくともそう信じる)答え方をすることにしよう。
いつものように具体論から入るが、最終的には本質論に収縮すると思う。
だいたいのやり方がわかったら、自分なりにアレンジして使いなさい。
大丈夫、そうできるような説明を心がけるから。
わからなかったら質問すればいい。私はこのスレが終わるまではここにいるつもりだ。
さあ、はじめよう。
まずはおさらいからだ。全スレで私がこういったことを覚えているかい?
—————
あなたの人生はあなたが現実であり、あなたの選択の結果だ。
生まれた家でさえ、どこかであなたが選択したのだと、私は思う(前世論を持ち出す気はないが)。
こういうと残酷に聞こえるかね?
ところが、私の見解は、全く逆だ。
あなたの現実が他者に決められた不変のものなのだとしたら、やり切れないだろう。
しかし、自分が選んだものだと思えば、これから変えることが自由にできる。
(今まではやり方を知らなかっただけなのだ!)
こっちのほうが希望に満ちた考えだとは思わないかね?
まずは自分が自分の歴史を決めてきたのだと認めなさい。
その事実から目をそらし続けている限り、これから新たな歴史を作るのは難しい。
—————-
ここをさらっと流す人や、すぐに忘れてしまう人もいるが、
実は、この基礎の部分をちゃんと押さえずにLOAの恩恵を受けるのは困難だ。
なぜなら、
「今までの家庭環境は私のせいじゃない!」という考えは、
「人生は自分で選択するもの・できるものだ」という信念と矛盾するからだ。
自分の経験を「外側」のせいにしている限り、あなたは自分で舵取りをすることができない。
まずは自分の人生のすべての経験に、責任をもつ「覚悟」が必要だ。
そこがすべての出発点だ。
だが、私は道徳論めいたことを言いたいわけではない。
この考え方だって、どうしても納得いかないなら反発したって構わない。
ただ、この考え方を利用して、次のステップに進もうといってるのだ。
渋々でいい。
「そうか、家も親も自分で選んだのか。だったらしょうがないな」
と思うフリをしてごらん。
認めるのがどうしても難しかったら、打算的に考えてごらん。
「親も家も自分が選んだ」と認めさえすれば、
あなたは未来を自由に選択する権利を手に入れられることになる。
その考えを採用すれば、あなたは金持ちにもなれるし夢も叶えられるわけだ。
(少なくとも、その可能性ががぐんと高まるわけだ)
ちょっといやらしいな~、と感じる人もいるだろう。
だが、まずはそれで構わない。
大切なのは、この考え方をすることで、自分の過去を「許しやすくなる」ということだ。
あなたの過去に対する怒り(後悔・落胆)を数値で100としよう。
それを
「自分で選んだものだからしょうがない」
「これからの未来のためには、認めるよりしょうがない」
と思えば思うほど、数値が少し下がるのを実感できるのではないだろうか?
たぶん、100だったのが、97か95あたりまでは下げることができるだろう。
「たった3%か」だって? 何を言ってるんだ。滑り出しとしては上々だよ。
これはまだ第一段階だ。さあ、次の考え方を採用してもっともっと下げていこう。
渋々ながらも「家も親も自分の選択の結果」という考えを採用できたとしよう。
(だが怒りや悲しみや後悔はまだまだある。今、数字は97%くらい)
だったら、あなたは疑問に思うんじゃないかね?
「なぜ私はわざわざこんな家を選んでしまったんだろう」って。
これはとてもいいクエスチョンだ。
では、何不自由ないお金持ちの家を想像して、
今自分が持っているもので、その家だったら経験できなかったようなことを考えていこう。
「なんで金持ちの家じゃなくて、うちだったんだろうなあ」
「超金持ちの家に生まれたかったけど、だったらバイト仲間のAちゃんとは出会えなかったなあ」
「乗馬が趣味の家とかに生まれちゃったら、今大好きな○○を趣味にはたぶんしなかったなあ」
「Aちゃんや○○に出会うためにうちを選んだのかなあ」
「やっぱお金があったほうがいいけど、そう考えると私の人生にも宝はあるなぁ……」
今の人生でしか出会えなかった素晴らしいものに目を向けるほど、
「引き寄せの法則」は発動し、肯定的なものをどんどん引き寄せる。
そして相対的にネガティブな要素は薄まり、あなたの過去への怒りはさらに下がるだろう。
97%だったのが90%まで。80%台まで行くかもしれない。
肯定的なもののリストアップが多ければさらに下がるかもしれないが、あわてる必要はない。
もう気づいてる人もいるだろうが、
この方法はエイブラハムの22段階メソッドがやってることと本質的には同じだ。
エイブラハムは感情の目安を22階層に分けて、私はもっと大雑把にパーセンテージを採用してるだけだ。
感情をデジタル化して、少しでもいい方向を目指し、新しい考え方を採用しながら進むという点では、同じだ。
要するに、少しでもいい感情をキープできる方法なら、方法なんてどうだっていいのだ。
道具にとらわれなくていい。自分なりにどんどんアレンジして構わない。
『意識を向けたもの、感情を与えたものをどんどん引き寄せる』というのがLOAの大原則だ。
だったら、毎日少しでもステキな感情でいなさい。なりたい状態の写真を眺め、一人にやけなさい。
それが難しかったら、22段階でもパーセンテージ法でも、好きな方法を使って感情を引き上げてごらん。
やりたくなかったらやらなくていい。それはあなたには合ってない方法だ。他にきっと方法はある。
スアソ、さすがに長文連投が過ぎた。
今日はここまでかな ノシ
引き寄せると言っても、自ら意図せずにたぐり寄せてしまった事態は、無意識が反映したモノって解釈でしょ。
TVを見たり、映画を見たり、人の話を聞いたり、そういう日常の何気ない情報が無意識に蓄積され
それが引き寄せの法則に反映されていく。
そんなんならば「運」や「カルマ」と殆ど変わらないでしょ。
運は神様の責任で基本的に自分は無関係。
カルマは自己責任だけど、前世の積み重ねという絶対に覚えていないことなんかに責任を感じる事はない。
無意識に対する反映だって一緒だよ。
知らず知らずのうちに引き寄せるモノなんて、自分という力で回す運のルーレットみたいなもんだ。
責任を感じる必要さえない。
現にエイブラハムもそういうこと言ってるよね。
無意識に(惰性で)引き寄せたことと、意識的に意図的に引き寄せた事を明確に分けてる。
引き寄せを自分が行ってても、無意識に引き寄せたことなんか責任を感じることはない。
そういうことだと思うよ。
>>45
>引き寄せを自分が行ってても、無意識に引き寄せたことなんか責任を感じることはない
それはいいな。今後はその考え方を私も採用させてもらおう。
自分だろうと他人だろうと、意図せずに招き寄せた事態に責任を感じる事はないでしょ。
例えば飛行機事故などの、自分に一切の責任がない完全な被害状態。
仮にそういうのシーンを自分が引き寄せたと思ったところで、その事故そのものの責任は絶対に自分にはない。
運であれ、カルマであれ、無意識の引き寄せであれ、純粋な偶然であれ、
自分としては全く願うことなくそのシーンに出会ってしまったのなら、そんなことに責任を感じる必要はないでしょ。
そういうシーンを避けられるのならさけ、避けることが出来ず出会ってしまったのなら、
いかにそれを乗り越えていくかを考えていけば、それで十分だと思うんだけど。
>>49
ふうむ。反論のしようもないw
まるで私が漠然と考えていたことを、ちゃんと言語化してくれてるみたいだな。
そうなんだよ、「責任」という言葉は重すぎる。
かといって物事は自分が引き寄せているということをちゃんと認めてやらないと、この魔法は発動しづらいからね。
代替パーツがみつからなかったから、責任とか覚悟とか言ってたわけだが。いや、目から鱗だったよ。お礼を言いたい。
想いを馳せるだけでは、何も達成されない
行動を起こさなければ、何も達成されない
「ザ・シークレットの真実」
>偉人たちは、本当に「秘密」を手にしていたのか?
>また、実際に宇宙とつながっているかの如く思考を携えていたのか?
>本書では、著者ロンダ・バーンの素顔、『ザ・シークレット』登場者の実像に
>膨大な資料ならびに関係者の証言を元に、気鋭のジャーナリストが迫る。
>本書の主題は、
>「楽しくやりがいあることに対して行動を起こさなければ、
>宇宙と同調したり、プラス思考で想いを馳せるだけでは何も達成されない」
>ということである。
実は、エイブラハムメソッド(22段階)や私のパーセンテージ法と、
本質的にはまったく同じ回復法が心理療法には存在する。
私は大学でそれをかじった程度なので(ちなみに私はレベル22の時でも病院にはいかなかった)、
心理学者かセミプロがいるのならば、ぜひともきちんとした論をかわしたい。
LOAスレにふさわしいログが残るはずだ。
>>101
実は私は、「シークレット」はあまり詳しくないんだ。
映画(動画)はかなり早い時点で見た。
うまくまとめているなとは思ったが、源流であるLOAを浴びるほど学んでいた身にとっては、
何度も何度もみたいとは思わなかった。
そして本が出たね。見たが、愕然とした。映画をただリライトしてるみたいだったからだ。
「では、感情を保持するためにはどうすればいいのか」ということがほとんど書いてない。
もちろんこれはこれで役に立つ人がいるのだろう。読んだ後しばらくは気持も鼓舞されるかもしれない。
だが、私は買わなかったよ。LOAの本流に弟子入りしている人間が、支流で満足はできないじゃないか。
私はここにコピペされているシークレットの内容が正しいかどうかと訊かれたら、「非常に惜しい」と答える。
少なくとも、LOAの教えを正確に伝えたものではない。
翻訳がまずいのか、ロンダ・バーンの誤解(曲解)なのか、このコピペが偽物なのか、それはわからないけれども。
>感情を保持する
まさに、まさにそれが今の課題です
そこそこうまくはいっているかもしれませんが
どうしても多少の波があります
感謝や許容は役に立ちますが、どうしてもそれだけでは調整不可能なときもあり…
そんなとき、私は、感情の揺らぎが起きたとき、あらゆる理由を思い浮かべて
自分の信じた道、行動はただしいと言い聞かせることにしています
行動不要論者さんは、どのように感情を保持しているのですか?
>>120
ずいぶん夜更かしだねw
いや、波があること自体は、特に問題はない。
波がまるでないということは感情を放棄したということだ。
悟りをひらくような心境は理想かもしれないが、それでは人間ではない。
レベル一ケタあたりにいる人間は小さなことで怒ることはかなり少ないが、
それでも人生から「怒り」という経験を放棄したことにはならない。
時には揺れ動く。時には波がある。それでいいのだ。
「多少の波」と書いてるが、レベルが上にいけばいくほどそんなものは気にならなくなる。
そして波は日ごとに少なくなり(完全消失はしない)、穏やかな範囲だけをだんだんとキープできるようになる。そういうものだ。
思いついたのでもうひとつだけ書こう。
一日中レベル1とか2でいることは不可能だ。それではまるで、聖者だ。
そんなところは目指さなくていい。
まずは17秒でいい、とエイブラハムも言ってるではないか。
私の経験則では、それを積み重ねた一日ほんの数分だけでも、劇的な効果がある。
その他の時間が多少波立っていても、まったく問題ないし、気にするのはむしろ逆効果だよ。
ああ、私が「感情を保持するため」と書いたのが誤解させたのかw
すまなかった。
それは、絶望してる人間が明るい気持ちに移る(その気持ちをキープする)ための方法は書いてないなあ、と思ったのだよ。
許容し可能にする術や、22段階メソッドがまるでないことに、愕然としたんだ。
>>124
また君かw
私にいってるのか?
上に書いた理由で、最近は呼ばれなきゃできるだけ返事をしないようにしてるんだよ。
それに私は金持ちではないよ。食う遊ぶには困っていないだけだ。
本当の金持ちは、ものすごいよw
引用元: https://hobby10.5ch.net/test/read.cgi/occult/1197683304/