今だけを意識することが大事なのはわかったけど、ほんとに過去も未来も無視しちゃっていいのかな?
まわりを見ると未来への不安が強い人ほど若い内にたくさん勉強し努力していわゆる勝ち組になって余裕のある大人になってる気がする。
それに対し、今がよければよい、というふうに将来や先のことを一切考えず「今、今」と心向くままに遊びほうけてる人はやっぱりある程度の年齢になると「もっと若いうちに勉強や努力しとけば良かった」とか言ってる気がする。
この辺はどう解釈すればいいですか?
>>372
> まわりを見ると未来への不安が強い人ほど若い内にたくさん勉強し努力していわゆる勝ち組になって余裕のある大人になってる気がする。
不安が強く、若いうちにたくさん努力して、余裕のない負け組になっている大人も一杯いますよw
そうでなく思えるのは、あなたの思いこみのせいです。
ひとつ言えるのは、不安があろうがなかろうが、
そのときに出来ることに集中し続けてている人は、
結果も好ましいものになっているでしょう。
その人は、常に「今」に生きていたということです。
>>372
108さんではないが・・・
その「勝ち組」というのは他人から見ても分かる所有物の多さの尺度で計って
勝ってる人のことだよね。かといってそういうのが多ければ幸せかというと、
それが幸せとは関係ないことはもう十分体験してないか? 主観的にはしてない
感じがするかも知れないが、日本と他国を比べたら日本人は異常に所有物が
多いことが分かる筈だ。かなりの貧乏人でもな。(浮浪者でさえ太る国だしな)。
日本は物が溢れてて使えるものやまだ食えるものでもどんどん捨てられるような
異常に豊かな国なんだよ。でもあなたは全然幸せ感じられないんだろ? 所有物の
多さは元から幸せとは関係ないからだよ。関係するような気がするだけ。幸せと
関係するのは物事のどこに焦点を合わせているかだ。世界一の金持ちになっても
嫌なことに焦点を合わせたままならずっと不幸なままだ。
じゃ、あとは108さんが来るまで自分で考えな。
これ私もそう思ってた。
ひたすら今に集中しなさいというのは108さんだけでなく禅とか
昔からの宗教家も言ってる事なのよね。それで全て解決するとか。
でも将来の事も考えておかないと今、今だけではどう何だろうと思う。
それとも将来も見据えた上で今にひたすら意識を集中させなさいと
いう事なんだろうか?よく分からないけれど・・。
108さんに是非、伺ってみたいなあ。
「今」から意識を外さなければいいんじゃない? 未来のことや
過去のことを考えるのであってもそれは今この時に考えて
いるわけで、そういう前提を忘れて妄想の世界にのめり込んで
しまうのがまずいんではないかと思う。正に映画の虚構の
世界にのめり込んでそれを真実と錯覚するようなものだ。
有り難うございます。確かにそうですね。
実際に「今」しかないんですよね。
372さんが書かれていたいわゆるエリート達も将来を考えてというよりは
その時「今」に集中して勉強に励んだ結果がエリートになったという事なのでしょうね。
何か分かって来ました。ありがとうございました。
>>423
まわりをみていて本当にそうだと感じます。
その人にとっては勉強(研究)が呼吸みたいなものなんだなーと感じるような人が。
給料ドロボーみたいな教授もいるという話ですが、
驚くほど優秀な方々はまさに、学び=生きること、になってるように見えます。
むしろ将来を考えたり、すでに働いている同世代と自分を比べて、泣く泣く勉強を諦める人はたくさんいますね。
成功しているある研究者に、「何になりたいかじゃない。今何をやりたいかだ」と言われました。
挫けそうなとき必ず思い出します。
あと、もし資格や試験に受かりたいなら、勉強と平行して引き寄せ使うといいですよ。
勉強しないで受かることは十分可能ですが、「勉強しなくても」と思ってる時点で、「勉強せねば普通無理だろ」という観念を強めています。
(よく話題になる、「働かなくてもお金を得る」と思ってもうまくいかないのと同じように)
観念して勉強したほうが、過剰ポテンシャルから離れやすいです。
重要なのは、失敗してもいいやと心から手放せること。
呪文さんいわくフラットな状態になることです。
そうすることで失敗から焦点をはずせます。
昔、試験会場までのバスの中でしか勉強できず(30分くらい)、完全に落ちることを観念していて望んだ大切な試験で、
全文外国語だったのですが、たまたま自分がよく知っている分野が出て、受かりました。
逆に準備しても空回りの経験も多く、そこからヒントに自分なりの試験対策引き寄せを考えました。
実際には勉強量と試験結果は必ずしも関係ないように感じてます。
要するに「何でもアリですよ」ということなんだろうけど、
何でもアリだと面白くなかったり、
何でもアリだと不都合だったりする人がいるんだろう。
確かにスポーツやテレビゲームで何でもアリだと面白さは半減するわな。
制限や拘束の中でいかにミッションをクリアするかが面白いわけで。
で、実生活においても無意識下でわざわざ自分に制限や拘束を加えている人が多いんだと思う。
自分だってそうだった。いや、今だってそうしているんだろう。
本当は何でもアリなんだけど、全身全霊にがんじがらめにされている拘束具を
スパッと全部脱ぎ捨ててはいないと思う。
時々何かの拍子で脱げちゃっている時があって、その時に奇跡が起こっている。
何度も何度も奇跡に救われた。みんなもそういう体験を沢山していると思うけど。
もちろんそれは本当は奇跡という特別な出来事ではなく、
ごく当然の必然の意図の現実化なのだろう。
>>399
無意識のうちに制限を加えちゃってるってのはわかるなあ。
「難しいハードルでなければ、他に差をつけられない」って思ってる。
そもそも他に差をつけるって発想が、子供の頃に植え付けられた記憶
って気がする。それは親や先生にほめてもらうためかな?
ほめてもらうことがないと楽に生きられないって思ってたフシがある。
あと、「いつのまにか脱げちゃってる」って経験も結構あるわw
んで、奇跡がおこった、俺って天才かもしれない、とか勘違いしちゃってたorz
それが本来当然のことだったのにね。
天才なのは勘違いじゃない。
天才だと勘違いしたというのが勘違い。
本当は400さんも私も天才なんですよw
この勘違いをしなくなるには、
他人に認めてもらわなきゃ本当じゃないという勘違いをやめて、
他人の視点・価値観を自分のそれと勘違いしないということでしょうね。
過去は記憶の中にしか存在しないし、将来は想像の中にしか存在しない。
特に将来なんて、過去の記憶や体験に基づいて想像された幻影に過ぎないと思う。
そういう意味では、将来もまた過去の産物ですよね。
新しい人生を送りたいと願う一方で、将来に思いを巡らせ一喜一憂するなんてのは、
実は過去をそのまま延長しているのと全く同じことなんでしょう。何も変わるわけがない。
本当に実在するのは「今」しかない。
そして「今この瞬間」には何も起こっていない。
何も起こってないということは、何もない、私たちの生を邪魔するどんな障害も何もない!
ってことですよね。
結局人間の苦しみの99.9999999%は過去の後悔、未来の取り越し苦労なんだよねw
いや、100%と言っていいかも知れない。
「取り越し苦労」って言葉はいいよねwwwww
引用元: https://hobby11.5ch.net/test/read.cgi/occult/1219430415/