■108さん、呪文さん、携帯さんにご教授していただきたいことがあります。
とくに、華麗なる恋愛遍歴と恋愛引き寄せを成功させておられる呪文さんに。
呪文さんの恋愛遍歴、過去ログで拝読させていただきました。
たとえば、「私は、周りの人間から愛されつつある」という
アファーメーションや“呪文”“自己暗示”の類は、
間違っているということでしょうか?
(注)特定の人間に愛されたいという願望はかなわないということは
これまで本スレの議論やにしきのさんのブログでよくわかりました。
しかし、不特定多数、たとえば周りの人たち
から愛されたいという願望についてはどうなのか、
いまひとつわかりません。
「(周りの人から)愛されつつある」「愛されている」というアファのほかに、
「愛しています」というアファも併用したほうがいいのかなぁ?
>>180
あなたは「自分が愛することによって、相手から愛されたい」と考えてはいませんか?
別の領域で言う「愛」とは「無償の愛」であって、「愛されること」、つまり見返りを求めては、
ならないということを意味していると思います。
一般的な「アファメーション」と私が言う「呪文」との違いは、呪文が潜在意識に効果的に
願望を刷り込む手段として唱えられている点です。潜在意識は別の領域では他の意識と
連鎖する関係にあって、願望という思考エネルギーが別の領域を駆け巡って、意図する
異性を見つけ出して、その異性が私の開いたチャネルを通じてアクセスしてくると考えて
います。潜在意識にこの作業をさせる為には、顕在意識の過剰ポテンシャルを抑制して
フラットになることを必要とします。ゆえに呪文は「フラットに淡々と」なのです。
>>180
私の見解は参考にならないと思いますが、一応書いておきます。
> たとえば、「私は、周りの人間から愛されつつある」という
> アファーメーションや“呪文”“自己暗示”の類は、
> 間違っているということでしょうか?
まず、「愛されつつある」の時点でとんだ勘違いです。
愛とは、愛されたり愛されなかったりするものではありません。
常に愛されており、意識しようがすまいが常に愛している、そういったものです。
「愛されつつある」ためには、一旦愛されてない状況を作らなければなりませんが
あなたが存在している以上そんな事は「有り得ない」んです。
いいですか、あなたが存在する為にはあなた以外の「全て」が必要なんです。
あなたはあなた以外の「全て」に支えられてやっと存在し得る事を知って下さい。
逆も同じです。あなたはあなた以外の「全て」の存在を支えています。
意識しようがすまいがです。
これを「縁起」とも言いますが、私はこれこそがが愛だと実感しています。
周りの方から「好意的に」接して欲しいという意味であれば
まずはあなたが周りに「好意を持って」それこそ「愛を持って」振る舞って下さい。
与えたものが返ってきます。アファるより効果的と思いますよ。
>>180
> たとえば、「私は、周りの人間から愛されつつある」という
> アファーメーションや“呪文”“自己暗示”の類は、間違っているということでしょうか?
その記事は読んでいませんが、絶対的に間違っている、あるいは正解だということはありません。
あなたにシックリ来ればそれが正解です。
> (注)特定の人間に愛されたいという願望はかなわないということは
> これまで本スレの議論やにしきのさんのブログでよくわかりました。
そのブログはともかく、私はそんなこと言っていませんよw
可能です。上でも書いたように、恋愛という性質上難しいというだけのことです。
学生時代に時々なんとなくつるむ程度の知人がいたんだが、
そいつはお調子者で自信家で嘘つきで、自分以外の人間皆を小馬鹿にして見下す所のあるちょっと癖のある奴だった。
オレにとってそいつは特別意識するような対象ではなかったんだが、
ある時軽く「おまえガキだからな~w」みたいなこと言われたことがあった。
その時オレはそんな些細な出来事に対して何故か内心無性に腹が立っていた。
「なんでこいつにガキって言われなきゃなんねーんだ!?」「おまえに言われたくねーよ!」
みたいな事を思いながらずっとムカムカが消えずにいた。
そのあと別の気の合う友人とそのことを話していると、
彼は一呼吸間を取って、「ガキって言われてムカつくのはガキだからだろ」と言った。
これほど的を得た答えになぜオレは気付かなかったのか!って目から鱗が落ちた。
この時のショックは本当に強烈で、オレが大学時代に学んだことの中である意味一番の収穫だったかもしれない。
オレがその知人を特別意識せず接していたこと(つまり軽く見ていたということ)は、
実はオレ自身もそいつのことをどこか小馬鹿にして見下していたからなのだ。
「あぁ、あいつと接する時のオレ自身はあいつと何も変わらなかったんだ」
「オレがあいつをガキだと思っていたようにオレ自身もガキだったんだ」・・
色々な気付きが押し寄せる出来事だった。
その気付きの後、オレは特別意識をしていなかったそいつへの見方を変え、そのクセのある困った個性も愛するようになった。
不思議なことにもう誰にガキと言われても腹が立つことが無くなった。
ふと疑問に思ったんだけど・・・・
私の友達は裕福な家庭で育って、旅行に行きたい時はいき、買い物では値段表を見て買ったことはなく
留学したければして・・と、兎に角親に支えてもらってたので経済面で困ったことが一度もなかった。
なもんで、スーパーで値段表を見比べて細かいお金でも節約して、時給いくらのパートをしなくちゃ苦しい生活とか
まあ新聞では読んだことあるけど?程度のものでどんなものか想像したことすらなかったらしいし、とにかく関係ない裕福な生活を送ってた。
念のために言っておくと、少しも経済的に困ったことがないので、逆にお金のない人を見下すとかそういう発想すら沸いたことないタイプ。
そして結婚して当然そのレベルが維持される=今まで全部出してくれてたお父さんの代わりに夫がその生活水準を当然維持してくれて
まあ自分はバイトくらいはしたい時にしてそれは全部お小遣いにできれば私カコイイ!くらいに何の疑問もなく信じ切ってた。
が、彼はそんなに稼げる職の人ではなく、彼女がパートに出て少ない稼ぎを生活費に回してやっと口座がマイナスじゃないくらいのギリギリ
という生活をせざるを得なくなった。
こういう場合どう説明できるんだろう。
彼女が昔そういう生活水準を想像してたとは考えられないし本人もそういってるんだけど
それじゃその現実はどうやって引き寄せられたんだろう?
どんなに裕福意識をもってたとしても、徳分がなくなれば
そうなることは当たり前です。引き寄せとは徳の分量も多いに関係します。
徳を消費することばかりせずに、徳積みもやらなければなりません。
>>192
「ふと疑問に思った」あなたに私の見解を。
推測は幾らでも可能です。可能性を持ち出して延々とやれます。
その人の気持ちや考え方の可能性、前世、カルマ、なんぼでも言えます。
ここで例えば108氏なんかが「それは○○だからです」と言って
あなたは「なるほど」とスッキリしたとする。例えばですよ、例えば。
これ何が起きたか解りますか?「納得」したんですよ。
つまりあなたは「納得したかった」訳です。
でも何で他の見解じゃなくその見解に納得したと思いますか?
説得力があるように「感じ」て理屈が通ってるように「感じ」て「理解」に無理が無く
「受け入れ難い性質のものではなかった」から納得したんじゃないですか?
これ全部「主観」ですよね。我々は他人の体験を「主観」で測って納得したがります。
他人の体験なんて本人にしか解りゃしないんですよ。他人になれますか?なれませんよね。
だったら他人の事は本人に任せておけば良いのに私の都合で判定したり
納得を求めるのは何故でしょうか。是非考えてみて下さい。
私は納得したいだけなら勝手に都合良くとっとと納得すれば良いと考えてます。
例えばあなたにとって到底受け入れ難いものを「これが真相です」と提示されたらどうしますか?
「納得できない!」と言ってまた推論を始めるんじゃないですかw
他人の事は本人がやりますよ、あなたはあなたに取り組みませんか。
>>192
私の友人も似た感じ。
お金は働かなくても懐にくる、お金がないって事はありえない、一時お金がなくても
「まぁ、いっか」が口癖。
10年強同棲していた彼も月100万~200万稼ぐ人で、友人に仕事をやめさせて
家にいさせていたけれど、友人はどんどん怠け者になり家は汚屋敷、変な虫とか
異臭を発生させてしょっちゅう大喧嘩。
しかし、友人は別れる時彼から300万円と半年分の家賃を払い込んでもらっていた。
そのお金が尽きた時、友人から仕事10年近くやってなくて不安だから何かバイト紹介してときたので
当時、むちゃくちゃ忙しかった私が勤めていた部署に雑用係りとしてバイトで雇ってもらった。
私が結婚退職すると同時に、友人は会社側からバイト→派遣に切り替えられ単なる雑用から
パッケージデザインの仕事をまかされた上、お給料もドーンとUP。
友人は伝票処理をした事がなく、やった事ないし面倒だからと業務を依頼されても放置。
支払いが滞ったりして問題になった時も、怒られる事はあってもお咎め一切なし。
それ所か伝票処理は一切やらず、大好きなデザインの仕事だけやってろ!で終了。
そして社内の男性社員とおめでた婚で退職。
この男性社員も、実家が会社を経営していて結構な資産家。
ただ、男性のお母さんが統合失調症。
友人は結婚後、義実家から毎月10万円をお小遣いと称したお母さんが何かやらかした時の
迷惑料を貰っている。
さらには病んでる親がいる所に嫁に来たのだから、一軒家をプレゼントしろと強気の発言。
これがまた受け入れられてしまって、友人一家は一銭も払わずに首都圏のいい場所に住宅を建設中。
好き放題している人の方が、自分の望むものをすんなり手に入れやすいのかと思わせられるよ。
でも友人と同じ事やれ、と言われても私にはできないなぁ…。
世間の目とか体面とか考えちゃうよ。
を詳しく教えてください。
”フラット”の意味が分からないので、もう少しかみ砕いた表現にしてくれませんか?
お願いします。
>>371
「フラットに淡々と」の実践には二つの意義があります。そのひとつが「過剰ポテンシャル」の
抑制です。願望が恒常化すると、願望に対する「執着」が現れ、その「執着」の念により「過剰
ポテンシャル」の状態になります。「執着」と「過剰ポテンシャル」は引き寄せの実践において
潜在意識を有効に機能させる為には最も大きな障害となります。「過剰ポテンシャル」の定義
は書籍を参考にして頂くとして、ここでは単純に、「願望に対して感情的な思考エネルギーが
常に流入している状態」と考えることにしましょう。
「呪文式」では、願望を単純にキーワード化して「呪文」として唱えることで、潜在意識に効果
的に刷り込む手法を用いています。無意識に唱えてしまうほど「呪文」が習慣化できたならば、
意識への刷込みが進行し始めたと考えられます。この時点で、願望に流入してくる感情的な
思考エネルギーを「フラットに淡々と」抑制して、顕在意識から「執着」と「過剰ポテンシャル」を
完全に排除していきます。「呪文」を無意味な言葉の羅列として唱えてしまう段階まで習慣化
できたところが、「呪文式」の引き寄せの効力が発揮され始めるスタートラインです。その後も
「フラットに淡々と」継続的な実践をお勧めします。
「ネガからポジに転じられない」云々と議論される場面を多く目にしますが、私は引き寄せの
実践においては、必ずしもポジティブな気分でいる必要はないと考えます。ネガからポジへの
転換は相対する極への思考転換を意味するので、意識的に転換するには多くのエネルギー
を浪費することになります。よって、一気にネガからポジに転ずるよりも、プロセスとして、まず
中間に「フラットに淡々と」思考を安定させ、焦点を思考転換に要する思考エネルギーを本来
の願望を掘り下げる方向に向けるのが得策と思われます。これが「フラット淡々と」を実践する
ことの二つ目の意義です。
なるほど。
それが”自然”に思い浮かぶほど習慣化させることで、余計な執着を捨てるわけですね。
ポジとネガの中間としての、”冷静”ってところなのかな。
なんとなく分かりました。教えてくれて有り難う。
引用元: https://hobby11.5ch.net/test/read.cgi/occult/1219430415/